「あなたは愛する者と友とをわたしから遠ざけ、わたしの知り人を暗やみにおかれました」
詩篇第八十八編第十八節
ロバート・バンティングと妻のエレンは、弱々しく燃える埋み火のまえに座っていた。
この部屋は、彼らの家が不衛生とまでは言わないまでも、すすけたロンドンの通りに面していることを考えると、ことのほか清潔で手入れが行き届いていた。ふらりと訪れた客、特にバンティング夫婦より上の階級に属する客は、その居間のドアを開けるやいなや、二人の姿に安らかな結婚生活の、暖かく心地よい一場面を見出しただろう。深々とした革の肘掛け椅子にもたれていたバンティングはきれいにひげを剃って、こざっぱりした身なりをしている。その風采にはむかし長年にわたって勤めあげた「誇り高き使用人」のおもかげが今も残っていた。
背もたれがまっすぐの、座り心地の悪い椅子に座っている妻には、過去の奉公生活のあとは夫ほど明らかではなかった。しかし、あることはある。こぎれいな黒いラシャのドレスと、入念に洗い立てられた無地のカラーとカフスにそれはあらわれていただろう。ミセス・バンティングは、独身の頃は、いわゆる有能な女中というやつであった。
しかし外見は人目をあざむくという古い英語のことわざは、とりわけ平均的なイギリス人の生活に当てはまる。バンティング夫婦の部屋はずいぶん立派なもので、二人が若かった頃は――いま思うとはるか昔のことのようだ!――妻も夫も自分たちで慎重に選んだ家財道具を誇らしく思っていたものだ。部屋のなかのすべてのものが頑丈でどっしりしていた。どの家具も個人宅で開かれた、きちんとしたオークションで購入したものだった。
だから霧に包まれ、雨のそぼ降るメリルボーン通りの景色を遮断している赤いダマスク織りのカーテンは、ほんのはした金で手に入れることができたし、おまけにあと三十年はもとうというしろものだった。また床を覆うアクスミンスターカーペットも掘り出し物だった。鈍く燃える小さな火を見つめながら、いまバンティングが身を乗り出している肘掛け椅子もそうだ。実を言うとこの肘掛け椅子はミセス・バンティングが大いに奮発して買ったものの一つなのだ。彼女は一日の仕事を終えた夫にくつろいでもらいたいと、この椅子に三十七シリングを払ったのである。つい昨日のことだが、バンティングは椅子を買い取ってくれる人を探そうとした。ところが品物を見に来た男は、夫婦の窮迫につけこんで、たったの十二シリング六ペンスしか出そうとしなかったのだ。そういうわけで、いまのところ肘掛け椅子は彼らの手もとに置かれているのである。
物質的な豊かさは、この世にあるかぎり、バンティング夫婦にとって望ましいものではあるけれど、しかし夫婦というものはそれ以上の何かを求めるものだ。だから居間の壁には、もう色あせかけているとはいえ、いくつもの写真が品のよい額に入れて飾られていた。それらはバンティング夫婦が以前仕えたいろいろな雇い主や、別々に暮らしていたとはいえ、二人が長きにわたって幸せな奉公生活を送った、美しい田舎屋敷の写真だった。
しかし外見は人をあざむくだけではない。こういう不幸な人々の場合は普通以上に人をあざむくものとなる。質のいい家具――不遇に陥っても、賢明な人々なら最後まで捨てようとはしない世間体を、目に見える形で示す物質的なしるし――を持っているにもかかわらず、彼らは金が底をつきかけていたのである。すでにひもじさを学び、いまはこごえることを知りはじめたところだった。タバコは酒を飲まない人間がもっとも手放そうとはしない楽しみだが、バンティングはしばらく前から喫煙をあきらめていた。ミセス・バンティングでさえ――彼女なりに几帳面で、賢明で、注意深い女性であった――それが夫にとってどういうことを意味するのか、ちゃんと理解していた。実際、分かりすぎるくらい分っていたので、彼女は数日前にこっそり外に出て、夫のためにバージニアタバコを一箱買ってあげたのだった。
女性からの気配りや愛に何年も心打たれたことのなかったバンティングもさすがに胸がいっぱいになった。苦い涙が思わず彼の目にあふれた。夫も妻も奇妙なくらい感情をおもてに出さなかったけれど、二人とも胸にじんとくるものがあった。
幸い彼には思いつきもしなかったのだけれど――この反応の遅い、平凡な、やや愚鈍とも言える心にどうして考えつくことができただろう?――哀れなエレンはそれ以来、四ペンスと半ペニーをタバコの購入に使ったのは大まちがいだったと一度ならず後悔していたのである。というのは、今や彼らは、安全無事な高原に住む者――つまり、幸福とは言えないまでも、確実に世間体を保った暮らしができる人々――と、自らに欠けているものがあるため、あるいはわれわれの奇怪な文明を組織してきた条件のため、貧民収容施設や病院や牢獄で、死ぬまで這いあがる術をもたぬままもがきつづける水面下の大多数、この両者を分け隔てる底知れぬ深みのすぐそばにまで来ていたのだ。
バンティング夫婦が下の階級、大勢の人々が「貧乏人」と呼んでいる大量の人々に属していたなら、親切な隣人がすぐに彼らに救いの手をさしのべただろう。また、彼らが長いこと仕えてきた人々、独りよがりで想像力はないけれど悪気もない人々に属していたとしたら、やはり同じことが起きただろう。
彼らを助けることができそうな人間は世界に一人しかいなかった。バンティングの先妻の伯母である。裕福な男と結婚し、今は未亡人となっているこの女性といっしょに住んでいるのが、最初の妻とのあいだにできた一人娘、デイジーだった。バンティングはこの老婦人に手紙を書こうか、どうしようかと迷いながら、それまでの長い二日間を過ごしたのだった。もっとも、冷たくとげとげしい拒絶の言葉しか返ってきやしないさ、と内心思ってはいたのだけれど。
彼らの知り合い、例えば以前の使用人仲間などとは、次第に行き来間遠になってしまった。ただ一人の友人だけが生活の苦しい彼らのもとをしばしば訪ねてきた。それはチャンドラーという名の若者で、バンティングは何年も以前、彼のお祖父さんの従僕を務めていたのだ。ジョー・チャンドラーは兵隊には行かなかった。警察が好きで、早い話が、実は刑事だったのである。
夫婦がこの悪運の元凶と考える家をはじめて買ったころ、バンティングは若者に、ちょくちょく遊びにお出でと誘いかけたものだ。というのは若者の話は充分聞くに価したから――時にはおそろしく好奇心をそそったからである。しかし、今、あわれなバンティングはそんなたぐいの話を聞く気になれなかった。つまり巧妙な手で警察に「あげられた」人々とか、チャンドラーの見るところ、そんな連中ならいつ喰らっても当然の運命を愚にも付かない不手際のせいで逃れてしまった話などだ。
しかしそれでもジョーは言われた通り、週に一二回は訪ねてきた。ただし、主人も奥さんも、彼に食事を勧めなくていいような時間を選んで。いや、それだけではない。彼は優しい思いやりから、父の古い知り合いに金を貸し与え、バンティングはとうとう三十シリングを受け取った。その金も今はほとんど残っていない。バンティングのポケットにはまだ銅貨が数枚ちゃらちゃら鳴っていたし、ミセス・バンティングは二シリング九ペンス持っていた。だが、それと五週間後に払わなければならない家賃が、彼らに残された全てだったのである。軽くて持ち出しがきく金目の物はことごとく売り払った。ミセス・バンティングは質屋を毛嫌いし、決して足を運ぼうとしなかった。絶対行くものですか、飢え死にしたほうがましだわ。彼女は断固としてそう言った。
しかしいろいろな小物が次第になくなっていっても、彼女は何も言わなかった。それらがバンティングにとって貴重な品であることは知っていた。なかでも古い懐中時計の金鎖は彼がはじめて仕えた主人の形見だったのだ。長い、恐ろしい病に倒れたときは、最後まで忠実に、心をこめて看病した主人だった。螺旋状の金のネクタイピンや、大きな形見の指輪もなくなった。いずれも以前の雇い主からの贈り物だった。
安定した生活と不安定な生活を隔てる深い穴のそばで暮らしているとき――そしてその不気味な穴の縁へ少しずつにじり寄っていくとき――人間は、どれほど生まれつきおしゃべりであっても、長い沈黙に陥りがちなものである。バンティングは口まめで通っていたけれど、今はもう話をしない。ミセス・バンティングもしゃべらなかったけれど、彼女はもとから口数の少ない女性だった。おそらくそれが、一目見た瞬間からバンティングが彼女に心を奪われた理由の一つだったろう。
二人の馴れ初めはこんな具合だった。とある貴婦人が彼を執事として雇うことになり、彼は前任者に